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[パリのフレスコ画]サンシュルピス教会〜ドラクロワの色たち〜

今日は画家、ドラクロワについてのお話です。
ドラクロワについて、興味深い情報に
触れるきっかけがありました。
 
 
 
↓サンシュルピス教会内にある、
ドラクロワのフレスコ画です。
この写真正面向かって左にあるのが、
“ヤコブと天使の戦い”で、右にあるのが、
“神殿を追われるヘリオドロス”です。
ドラクロワは、この壁画を描き始める前、
5年をかけて、
ベースになる壁の色や状態を整えました。
そして、1年をかけて描いた下書きが
気に入らず、またやり直し
結局、絵の完成までに
そこから5年を費やしました。
ドラクロワは、絵画の世界において、
三つの革命を起こしたと言われています。
一つ目は、古典的な描き方である
“輪郭”を描くことを辞めたことです。
最初から荒々しい筆さばきで
描き進めていき、
最後に全体のバランスをとっていくという
新しい画法を取り入れました。
19世紀前半の、当時のサロンでは、
古典主義に歯向かう
衝撃的かつシュッキングな出来事だったそうで、
 
ドラクロワは、異端者扱いをされていたそうです。
批判を浴びながら、画家として生き残るために、
ジレンマを抱えたドラクロワが
画題を探る中で、7月革命が勃発しました。
“栄光の3日間”と呼ばれる
市民革命をきっかけに、
ドラクロワは、自分の考えに更に踏み込んで、
市民の姿を市民に向けて描いた
民衆を率いる自由の女神”を発表しました。
この絵は、社会的な風潮を味方につけ、
反響を巻き起こし、
これまでのサロンの流れを
 
一変させることになりました。
このことによって、ドラクロワは、それまで、
特権階級の道具であった絵画を解放し、
絵画における権力の支配を断ち切ったのです。
それが二つ目の革命です。
そして、最後の革命が、
今日の写真に結びつきます。
ドラクロワは、画家としての成功を
収めつつ、外交使節団の記録係として、
北アフリカに長期滞在する事になりました。
特にモロッコは一番長く、
そこで見た光景、日々の生活が、
ドラクロワに大きな影響を与えたそうです。
パリでは体験できない色彩を楽しみ、
受け入れ、スケッチブックに描き続けました。
そして、ある日、騎馬兵の馬の影を見ながら、
影は単なる黒ではない事を知ります。
そこで、ドラクロワは、
パレットに”黒の絵の具”を
置く事をやめます。
第三の革命は、”黒の追放”と呼ばれています。
晩年ではありますが、
絵画を描くにあたって、
何を伝えるか、ではなく、
どうやって伝えるか、ということを
“色による表現”として挑戦したドラクロワ。
“影は単に黒ではない”という気付きを
最後の大作に注ぎ込みます。
私がドラクロワの作品を初めて好きになった
絵、、、。正確には、
絵というより、むしろ、
この”色たち”であったのかもしれません。
赤、青、黄色、緑、、、
ドラクロワが亡くなる2年前に完成した絵の
黒を使わない、
美しい”色たち”をお届けできたらと思います。
フランス人の生活の中にある
色の織りなす”美しさ”に通ずるものが
凝縮された絵の様に感じます。
どこを切り取っても、
身に纏うスカーフや
テーブルクロスや
ドレスや
バックや靴、、、
生活の至る所で見られる
美しい色たちです。
合格合格合格合格合格合格合格合格合格合格合格合格合格合格合格合格
今日もお付き合い頂き、
ありがとうございました。おねがいおねがいおねがい


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